世界における謎としてもっとも有名かつ不気味な話、それは「ツタンカーメンの呪い」と言って過言ではないだろう。
「王家の谷」を調査した隊員たちが次々と死に見舞われたことから、人々はそれを「ツタンカーメンの呪い」と名付けた。
では、本当に調査隊員たちの死はファラオの呪いによるものなのだろうか。
今回はツタンカーメンの呪いにおける謎に迫る。
調査隊員が次々と死に見舞われたという事実
1922年11月4日、イギリスの考古学者ハワード・カーター率いる調査隊がエジプト、ナイル川中流域の遺跡「王家の谷」で、第18王朝のファラオ(王)であるツタンカーメンの墓を発見した。
棺を調査する考古学者 ハワード・カーター
image: Fuck Babylon!!(F.B)のブログ
墓泥棒が侵入した形跡がなかったため、その墓はとても貴重な墓として話題に。
しかし、徐々に暗雲が訪れることになる。ファラオの墓を発見してからというもの、この発見に関係していた人々が次々と死に見舞われたのである。
翌年2月17日、立会人のもとで入口の封印を解いたその日、カーターが飼っていたカナリアがコブラに食われた。エジプトで幸運の鳥とされるカナリアの犠牲は、不吉としか言いようのない前兆だったのかもしれない。
開封した王墓の前室からは次のような文言を刻んだ粘土板が発見されている。
「ファラオの安息を破る者は、死神の翼によって撃ち殺される」
そう、これが有名な「ツタンカーメンの呪い」に直結する証拠とも言える文言である。
その後も犠牲者が続出した「ツタンカーメンの呪い」
ツタンカーメンの呪いによるものなのかは定かでないが、最初の犠牲者はカーターのスポンサーであり、墓の開封にも立ち会ったイギリス貴族カーナヴォン卿だった。
開封から2ヶ月後に原因不明の高熱を発しこの世を去る。
その死と同時刻に首都カイロで不可解な停電も起こっていたことがわかった。
カーナヴォン卿の死の直後には同じく立ち会い人の考古学者が原因不明の急死を遂げ、卿の友人で王墓を見学したアメリカの富豪も高熱を発して急死した。
少年王ツタンカーメンのマスク
image: お気楽天使のびっくりミラクル
結局、1930年までの間になんと22人もの関係者がさまざまな理由で命を落としている。
しかも、そのうち13人が王墓の開封に立ち会っていたことが判明。
カーターの秘書もツタンカーメンの呪いによるものなのか犠牲者となったが、その死を知って父親は自殺。遺体を乗せた霊柩車が子供を轢き殺すという悲劇まで起きることとなった。
やはりこれはツタンカーメンの呪いなのだろうか。
偶然の一致にしては死者が多すぎる
ツタンカーメンの呪いが死者を続出させたのかは謎だ。
しかし、死の連鎖の話題で世界中が大騒ぎになったことは言うまでもない。とはいえ、同件には懐疑派も現れた。
- 「単なる偶然の一致」
- 「王墓内に盗堀防止のために致死性の高いカビが仕掛けられていた」
これらの説が浮上することとなった。
確かにこれらの説は否定できない。なぜなら、調査隊のリーダーであるカーターは1939年まで生存しているからだ。真っ先に呪いの対象となるはずのカーターがそれまで生き延びたことを考えると、やはりツタンカーメンの呪いは偶然の一致か、カビが原因によるものなのかもしれない。
ツタンカーメンのミイラ
image:art-random
とはいえ、よくよくこのツタンカーメンの呪いについて考えてみてほしい。
偶然にしては死者数が多すぎるし、致死性のカビだとしたら開封に立ち会っていない犠牲者を説明できないはず。
いずれにしてもツタンカーメン呪いは謎を残したまま、現代でも有名な不気味な話として語られている。
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