特に戦国武将に興味がない方でもご存知の歴史上の武将・上杉謙信。
武田信玄との戦いはあまりにも有名であり、戦国時代を舞台としたゲームにおいては美形キャラとして描かれることが多い。
NHK大河ドラマ『風林火山』では、上杉謙信役にGACKTが起用されるなど、彼の容姿が優れているというイメージは世間にも定着しつつある。
そんな上杉謙信に女性説が浮上していることをご存知だろうか?
この女性説、単なる都市伝説かと思いきや、色々調べてみるとありえなくもない説であることがわかった。
上杉謙信とは
上杉謙信
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上杉謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の武将・戦国大名。後世、越後の虎や越後の龍、越後の獅子、軍神と称される。
上杉家の下で越後国の守護代を務めた長尾氏出身で、初名の長尾 景虎(ながお かげとら)でもよく知られている。兄である晴景の養子となって長尾氏の家督を継いだ。のちに関東管領上杉憲政から山内上杉氏の家督を譲られるとともに「政」の1字を与えられて上杉 政虎(うえすぎ まさとら)と改名し、それまで上杉氏が世襲していた室町幕府の重職関東管領をも引き継いだ。後に室町幕府の将軍・足利義輝より偏諱(「輝」の1字)を受けて、最終的には上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)と名乗った。謙信は、さらに後に称した法号である。
引用:Wikipedia
上杉謙信女性説
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上杉謙信女性説の出処はさかのぼること昭和43年(1968年)、サンカ研究における有名な学者・八切止夫が提唱した仮説だ。
「上杉謙信女性説なんて、さすがにウソでしょ」と思わずにはいられないが、実は女性説の根拠をチェックしていくと、ありえなくもにない話なのだ。
まず1点目の女性説における根拠だが、上杉謙信がとっていたとされる「生涯不犯」というライフスタイルだ。
これはすなわち、彼の周りに女性の影がまったくなかったということなのだが、その影響で彼に同性愛者説も浮上している。
しかし、上杉謙信は仏門に入っていたこともあり、女との関係を断っていても決して不思議ではないのだ。
それにしても彼が女遊びをしたという記録は極端に少ないため、女性説が浮上するのは自然と言っていいだろう。
彼の女性らしさを物語るエピソード
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上杉謙信は自らを毘沙門天の生まれ変わりと称していたエピソードはあまりにも有名。
実はこの毘沙門天、もともとは女神であるという説があり、福島県・上杉神社には保管されている彼が着ていた着物はどれもが赤色がメインで、一目見るだけでは女性の着物にしか見えないのだ。
また、織田信長は上杉謙信に源氏物語屏風を贈っているのだが、当時屏風を贈るという行為は女性に向けてなされるのが一般的な風習だったのである。
さらに上杉謙信は恋愛小説である『源氏物語』を好んだと言われている。
これらのエピソードはまさに上杉謙信女性説の信ぴょう性を高める要素と言ってもいいのではないだろうか。
ちなみに彼が生きていた頃に描かれたとされる肖像画はまさに僧形そのものであり、髭などなく柔和な顔つきだ。
まだまだある!女性説を裏付ける情報の数々
上杉謙信は出陣するとき、ごぜ唄(目の不自由な女性芸人が歌う歌)を歌っていたとされている。
このごぜ唄の内容は寅年寅月寅日生まれで政虎とも名乗った上杉謙信を、男も及ばぬ怪力の女性として讃えているものだ。
ごぜ唄
『寅年寅月寅日に生れたまんとら様は、城山さまのおん為に赤槍立ててご出陣。男も及ばぬ大力無双』
また、上杉謙信の死因は脳卒中と言われているものの、文献『当代記』大虫が原因で死亡したとある。この大虫は子宮に関する病など、婦人病を指すものと解釈されている。
さらに彼は川中島などの戦争中、毎月10日前後に腹痛を起こし、兵を引いていたという記録も残っている。
これはすなわち、女性の月経ではないかとの指摘もあるようだ。
はたして彼の女性説は単なる仮説なのだろうか?
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