日本国憲法の看板説で有名な「犬鳴村の嘘と真実」

都市伝説として有名な“犬鳴村”。

ネット上では「この先、日本国憲法は一切通じない」と書かれた看板が立っているだとか、住人が襲いかかってくるなど不気味な噂が飛び交っている。

一見すると話がぶっ飛んだよくある都市伝説の類でしかないが、本当に犬鳴村は実在し、語られる噂に嘘はないのか・・・。

今回は犬鳴村を徹底解剖することとした。

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都市伝説の定番「犬鳴村」にまつわる噂

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image: www.youtube.com/

 

都市伝説の代表格といっても過言ではない「犬鳴村」。

同村にまつわる噂は数えきれず、今もなお様々な情報が浮上することで知られる。

まずはこの犬鳴村にまつわる噂をまとめてみた。

 

「犬鳴村にまつわる都市伝説」

噂1: 「入口に“この先、日本国憲法は通用せず”と書かれた看板がある」
犬鳴村へアクセスするには「旧犬鳴トンネル」の脇道を進む必要があるという。しかし、その脇道は細心の注意を払わないと見過ごしてしまうレベルのとのこと。その脇道を進むとやがて入口が姿を現し、「この先、日本国憲法は通用せず」と書かれた看板が立てられているそうだ。

噂2: 「犬鳴村に入った物は生きて帰ってこれない」

犬鳴村に入った者は生きて帰ってこれないそうだ。というのも、同村には様々な罠が仕掛けられており、それに引っかかってしまうと住人たちが斧や鎌などで襲いかかってくるのだという。また、住人たちはかなりの瞬足の持ち主のため、逃げ切ることは不可能だとか。

噂3: 「電波は一切通じない」

犬鳴村には電波が通っておらず、携帯電話やスマホは当然のごとく圏外。住人たちに追いかけられようにも警察に通報できないというわけだ。なお、同村は日本の地図上から抹消されているため、実在しないことになっている。

噂4: 「江戸時代より隔離された“悲しき村”」

犬鳴村は江戸時代から激しい差別を理由に隔絶されてきたのだという。その後は住人たちが自給自足の生活をし、外界をシャットアウトそうだ。なお、現在では日本政府から「特別保護区」として指定されており、一切の法律が適用外との噂も。

噂5: 「破壊されたセダンが目印」

同村の広場には破壊されたセダンが置かれているのだという。これは以前に島根から旅行にきたカップルの車とのことだが・・・。

 

このように嘘のような都市伝説は多々ある。
では、本当に犬鳴村は実在するのだろうか?

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犬鳴村の「日本国憲法は通用せず」の看板は嘘なのか

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image: ghostmap.net/

 

犬鳴村でもっとも注目されているのは、「この先、日本国憲法は通用せず」と書かれた看板である。仮にこのような看板が実在するのであれば、それこそ都市伝説レベルでは済まないのだが・・・。

調べてみると、Yahoo!知恵袋に興味深い話が掲載されていた。


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その情報によると、どうやら日本国憲法が通用しないと書かれた看板における噂は嘘でもないようだ。

これは実際に犬鳴峠にドライブに行った方の話だが、今から20年ほど前、まだ旧犬鳴トンネルが封鎖されていない頃、Aさんは友人と二人で同トンネルをドライブした。

すると若宮側の出口付近に上へ登っていける細い道があり、その道を進んだという。すると、赤色をした鉄門に「この先何があっても責任は取れません。」と書かれた看板を発見。さらに進むと、左手に一軒の農家と思われる民家を発見したそうだ。しかし、そこから先へは進むことをやめ、引き返したのだという。(参照:Yahoo!知恵袋

このように村があったかどうかは別として、犬鳴峠に暮らす住人がいたことは事実だろう。

また、現地に詳しい住人の話によれば、犬鳴村もしくは犬鳴峠がある場所はヤクザが死体を捨てに来る場所であったり、警察の管轄外という噂が流れているのだという。

話を整理すると、「この先、日本国憲法は通用せず」と書かれた看板の正体は、「この先何があっても責任は取れません。」と書かれた看板のことであり、それは日本国憲法が通用しないとの呼びかけとは異なるものだと推測できる。

「責任が取れない」というのはその先の道が険しく、落石などの危険性を警告しての看板だったと考えるのが自然。よって、都市伝説として語られる犬鳴村の看板における情報は、いわゆる“盛られた”話と見ていいだろう。

ということで、日本国憲法が通用しないとの看板における情報は完全に嘘というわけではなさそうだ。

噂は嘘じゃなかった?村が実在したという記録

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image: www.youtube.com/

 

さて、最後に犬鳴村の実在についてまとめたい。

結論から言うと、同村は1691年から1889年にかけて福岡県鞍手郡に実在した(文献からの結論)。だが、都市伝説で語られるような差別、隔離、自給自足の生活、危険な住民などはまったくの嘘である。

なお、犬鳴村は1889年4月1日に施行された町村制度により周辺の村と合併。これにより「吉川村」が発足し、同村の一集落となった。その後は市町村合併が数回に渡って行われ、現在は「宮若市犬鳴」となっている。

ちなみに犬鳴村だった区域は現在、巨大ダムの建設により湖底に位置しているのだという。

このように犬鳴村は確かに実在したものの、都市伝説で語られるような情報は事実無根だった。

「日本国憲法が通用しないと書かれた看板」「襲ってくる住民」「隔離された過去」これらの情報が相まって、現在の“都市伝説”が作り上げられたのだろう。

ちなみに現在犬鳴峠は全国的にも有名な心霊スポットとなっている。

 


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コメント

    • はーちゃん
    • 2017年 11月 13日

    獣人の声聞いたことないの?マジやべえから‼︎近親交配で出来たんだと思う

    • zf
    • 2018年 2月 22日

    時効だと思っているので詳しく話しますが、犬鳴村はもう無くなりました(伝統を受け継ぐ人がいなくなったので)。実在していた犬鳴村は実は2つありました。一つは公式の文書に記載された福岡県の犬鳴村。もう一つは和歌山県と大阪府の間にある犬鳴山のそれた山奥にある村です。今はもうありませんが、そこにはかつて十数人の人が住んでいたようです。都市伝説だと言われている犬鳴村伝説は、後者の方です。検索すると、福岡県の方が出てくるのは、そちらは「犬鳴村」で登録されていたからです。後者は本来別の名前がついており、行政にはとある理由により住所が登録されておりませんでした。前者が有名になったのは、正直言ってありがたかったです。

    申し遅れましたが、犬鳴村のことについて詳しい者です。あなたが住んでいたのか?とかそういったことはお答えできません。どうして犬鳴村ができたか、等々話します。
    まず、ここからは福岡県の犬鳴村について述べる時は「福岡犬鳴村」と書きます。
    和歌山の犬鳴村は場所は詳しく教えられませんが、犬鳴山の近くだと思ってください。えたや非人という言葉をご存知かと思いますが、かつてそういった人々が町から追いやられ住んでいました。これはいつの時代の事かあまり分かりません。えたと呼ばれる人がいたより以前かもしれませんし、とにかく人間扱いされない奴隷のような人々が集団で暮らし始めたのが犬鳴村の原点です。その頃は(私も人伝で聞いたことですが)とにかく貧しい暮らしだったそうです。ですが、山奥のかなり奥なので、人はほとんど寄り付かず、たまに猟師が上って来る程度だったそうです。このころの話はおそらく江戸時代とか、武士のいた頃のことだと思います。この話を随分昔に聞いたので、私も曖昧な記憶をたどっていますが、とにかく、小学生の僕が近所に住んでいた元えたのおじさんと仲良くなって、こっそり聞いたお話です。今思うと、多分そのおじさんは犬鳴の人ではないにしろ、同じえたの人々とのネットワークがあって、詳しかったのだと思います。まだそのおじさんはご存命だと思いますが、親族がいないそうで、どこにいるのか分かりません。連絡が取れません。

    話を戻しましょう。
    犬鳴村にいた人々はもともと虐げられた生活を送る人々でした。これは結構最近までそうだったそうです。理由は同和地区だとかえたとか言われる人々だったからです。なぜ都市伝説化したのかというと、山奥にあった犬鳴村の少し近くに道路が開通し、人の往来が激しくなったからです。それまではたしかに道路はありましたが、好き好んで通れるような道ではなかったそうです。実はそれまでは案外平穏に暮らしていたそうです。あまり人の寄り付く場所でないことと、逃げたような形なので、町に下りても他の人々に気づかれなかったのだとか。時折、山奥では補えないものを、町で買ったりしていたと聞きました。生活はほぼその日暮らしで、食べ物は山で調達するようなそういう暮らしだったそうです。道路が開通するまでは本当に平穏だったそうです。

    問題の道路ができてから、その道路は心霊スポットとして名をあげました。田舎道であることと、八つ墓村などの影響でしょう。いまだによく出ると言われていますが、その真相は分かりません。心霊スポットと呼ばれ始めてから、地元の若者たちが寄り付くようになりました。たまに「こっち面白そう」みたいな感覚で逸れた道へ入り、犬鳴村まで近づく人が増えてきました。これには今までの平穏を壊されかねないと危惧した住人(もうこのときにはかなり少ない)が看板を立てたりしました。それが「この先、日本国憲法は通用せず」の看板の”モチーフ”になったものです。実際にはそんなことは書いてありませんでした。もう捨てられているので残ってはいませんが、実際には「イノシシ危険」とか「この先通行不可」などがあったそうです。たしかに行き止まりなので、嘘ではありません。そんなこんなで話が膨らみ、都市伝説化しました。やがて、そこに人々は住んでいられなくなりました。見ず知らずの人間が立ち入りそうになったことと、このご時世かつての暮らしを継続するのは困難になった事と、部落の人間に対する差別がなくなりつつあるためでした。元々いた人々はかなり高齢になり、山奥での生活がかなり厳しくなっていたのも理由の一つです。そうして山から下りてきた人々は、ほどなくしてほとんどの人が死んでしまったそうです。跡継ぎなどがいないのは、村に女たちが少なかったことと、部落の人間は居なくならなければならないと考えてのことでした。そうして犬鳴村は伝説だけを残して平成の世に消滅いたしました。

    伝説のことについて答えますと、
    噂1は嘘です。話が膨らんでしまっただけです。ただ、脇道を進む、というのはあながち間違いではありません。車では通れないぐらいの脇道なので、細心の注意がいるのもたしかです。憲法が通用しない旨の看板はありません。別の内容の看板はありました。

    噂2は嘘です。イノシシ用の罠はあちこちにあったので、もしかしたら本当にそれでケガをした人もいるかもしれませんが、この可能性はかなり低いでしょう。あそこは容易に入れる場所ではありません。住人は襲いません。斧や鎌はあのあたりにまだ落ちているかもしれません。俊足というより健脚と言った方が良いでしょう。山慣れしていたそうです。

    噂3は事実です。圏外です。そもそも国に観測されていなかったので、地図上にも存在しておりません。なので、そこにいた住人も戸籍を持ってはいませんでしたし、道も私道扱いです。

    噂4は間違いではありません。部落の人間のコミュニティーだったので、隔離されたというより、自ら外の世界と関わりを断ち切った、という感じです。ですが、町にも繰り出ていたのも事実です。今も昔も特別保護区などに制定されたことはありませんし、そもそもいまだに行政には見つかっておりません。

    噂5は分かりません。破壊はされていないと思いますが、あのあたりに車はありません。山道を入ることは出来ませんし、セダンが心霊スポット巡りで来た若者の物だったのかもしれませんが、これは嘘だと思います。

    これ以上詳しいことを話すのはできませんが、とにかくどこかに事実を書いておかねばいけないと思い、書かせていただきました。乱れた文ですみませんでした。
    もう犬鳴村は無くなった、この点だけよろしくお願いいたします。

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