あなたは「東電OL殺人事件」をご存知、もしくは覚えているだろうか。
東電OL殺人事件は一見すると非常にありふれた事件のように思われたが、警察の捜査によって続々と衝撃的な事実が明らかになり、しまいには逮捕者が冤罪で釈放されることに。
一流大企業のエリート女性社員の売春、無罪だった外国人を拘留し続けた点、DNA鑑定の曖昧さ、検察による証拠隠滅疑惑など、同事件は間違いなく裁判史に残る“何らかの圧力”を感じずにはいられない事件なのである。
そこで今回は「東電OL殺人事件」の真犯人を考察した。
東電OL殺人事件の概要
東電OL殺人事件が起こったのは1997年3月19日。
東京都渋谷区円山町にあるアパートの1階空室で、東京電力東京本社に勤務する女性(当時39歳)の遺体が発見された。
女性の遺体を発見および通報を行ったのは同アパートのオーナーが経営するネパール料理店の店長。
その後被告人となるネパール人男性のゴビンダ・プラサド・マイナリは、同アパート隣に位置するビルの4階に不法滞在していたネパール人4名と住んでいて、被害者が生前に売春した相手の1人だったという。
なお、被害者女性の死因は絞殺で、死亡推定日時は同8日深夜から翌日未明にかけてとされる。
こうして被告人は逮捕されるのだが、その後以下の問題点が明らかになり、釈放された。
2)DNA鑑定の曖昧さ
3)検察の証拠開示がなかった
4)警察捜査における問題
また、被告人は無罪判決が下されたにもかかわらず、その後も勾留されていた。
このように東電OL殺人事件の真犯人は現在も捕まっていない状態であるが、それ以前に何らかの圧力を感じずにはいられないほどの不気味かつ陰謀などをイメージさせる事件となっている。
東電OL殺人事件(Wikipedia)
東電OL殺人事件が冤罪になった背景
image: mkt5126.seesaa.net
なぜ東電OL殺人事件は“冤罪”になってしまったのか。
それは先述したように圧力を感じずにはいられないほどの問題点が重なったこと、そして冤罪で逮捕され15年間も拘留させられたマイナリ氏が、早い段階から警察にマークされ、曖昧なDNA鑑定をされたことが要因である。
警察は現場に落ちていた体毛と、便器に捨てられたコンドームのDNAがマイナリ氏の物と一致したことで逮捕したわけだが、被害者女性の体内に残る体液のDNA鑑定を行なっていなかったのだ。
後に警察の杜撰な捜査が明らかになり、被害者女性の体内に残っていたDNAと部屋に落ちていた体毛、コートに付着していた血液、胸に付着していた唾液はすべてマイナリ氏のものではないことが証明された。
そして、2000年4月になってようやくマイナリ氏の無罪が確定。
要するに東電OL殺人事件は警察の誤認逮捕だったのだが、警察を含めその周囲はそれを隠滅しようとしたと判断するのが自然である。
圧力に圧力を重ね合い、何としてでもマイナリ氏を犯人で終わらせようとした事件と言っても過言ではない。
しかし、同事件で注目せねばならないのは「真犯人は誰か?」という点。
現に真犯人は捕まっていないのだ。
はたして真犯人は誰なのか?
東電OL殺人事件についてよく調べられている方からすれば、同事件関連の書籍や記事が非常に多いことをご存知のはずだ。
事実、東電OL殺人事件関連の書籍は多数出版されているし、マスコミも「陰謀説(圧力説)」「真犯人説」などを定期的に報じている。
さて、同事件の真犯人なのだが、被害者女性が一流企業に勤務していたにもかかわらず、なぜ売春婦をしていた点に解決のヒントが隠されているのかもしれない。
とある報道によれば、被害者女性の年収は1,000万円にも及んでいたというだけに、やはり売春行為を何のために行っていたのかが謎。年収1,000万をもってしても生活に困っていたのだろうか。
また、真犯人説と圧力説を濃厚にしているのが、「被害者女性が東電の役職に就く立場でありながら、原発を反対していた」という情報だ。
数々の報道によれば、被害者女性は反原発派のひとりだったという。
そのため、原発促進派の人間によって殺されたという見解が溢れ、現在では都市伝説のような拡散度合いとなっている。
つまり、東電OL殺人事件の真犯人は原発促進派の人物で、冤罪をもみ消そうと圧力をかけたと考えれば、すべての問題点と辻褄があうという意見も。
もっとも真犯人が逮捕されることが被害者女性の供養になる。
しかし、多くの月日が経過しているにもかかわらず、未だ真犯人が特定されないのは明らかに不自然であり、おかしな事態である。
はたして圧力をかけている人物は実在するのか。
そして、真犯人は今どこで何をしているのだろうか。
真犯人の一刻も早い逮捕を願うばかりだ。
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