あなたは「ロシア」そして「プーチン」というキーワードからどういった人物を連想するだろうか?
おそらく多くの方は現・ロシア首相の「プーチン」を思い浮かべることだろう。
現ロシアにとってプーチンの権力は偉大であり、それは全世界にも影響するほどであるが、実は「ロマノフ朝」時代にも恐るべき“プーチン”がいた。
それは今となっても不気味な逸話(予言や数々の謎など)が語り継がれる、怪僧「ラスプーチン」のことである。
ということで本記事ではロマノフ朝を自由自在に操り、滅亡させた怪僧ラスプーチンの予言や謎に迫ることとした。
“怪僧”と呼ばれた「グリゴリー・ラスプーチン」の生い立ち
300年もの栄華をきわめたロマノフ朝の崩壊を予言した人物が存在する。
image: bushoojapan.com
その人物の名は「グリゴリー・ラスプーチン」。
謎に満ちた逸話と奇怪な姿から“怪僧”と呼ばれた人物である。
シベリアの寒村に生まれたラスプーチンは、幼いころから一種の透視能力(予言)を備えていた。やがて彼はギリシャのアスフォン修道院をはじめ、トルコ、シリア、エルサレムを徒歩で巡礼し、放浪と帰郷を繰り返す中で、催眠術や病を治すヒーリング能力まで身につけたという。
難病すら治す奇跡的な治療は評判を呼び、ラスプーチンはついに皇帝に近づいた。そして、その世継ぎである皇太子アレクシスの血友病を治癒。皇帝夫妻から絶対の信任を得たラスプーチンは国政を左右する権限も掌握し、“影の皇帝”と呼ばれるようになった。
しかし、彼のことを快く思わなかった人物は数知れない。
それこそが“怪僧ラスプーチン”と名付けられることとなった発端と言えよう。
自らの死をも予言した怪僧ラスプーチンの死因
ロマノフ朝の“影の皇帝”とまで呼ばれるまでになった怪僧ラスプーチンだが、敵は数知れなかったといえよう。
よって、いつ彼らに暗殺されるかもわからない状況だった。
ラスプーチンはその危機すらも予言しており、「私は1月1日以前に生を終えるだろう。その死をもたらすのが皇帝の手の者であれば。ご家族で2年以上生きる者はいないだろう」と書簡に残している。
1916年12月16日、彼の予言は現実のものとなった。
皇帝の姻戚であるユスポフ侯爵を主犯とする暗殺計画が実行されたのだ。
だが、ラスプーチンは青酸カリが盛られた食事を平気でたいらげたばかりか、首や心臓をピストルで撃たれても死ななかった。
そのため、ユスポフ侯爵らは鉄棒でめった打ちにしたうえで縄で巻きつけた彼を川に投げ込んだ。
とうとうラスプーチンは息絶えるのだが検死の結果、死因は「溺死」。
そう、彼は川に投げ込まれてからもまだ生きていたのである。
彼の死と共に滅びた「ロマノフ朝」
怪僧ラスプーチンの死後、ほどなくしてロシア革命が起こり、ロマノフ朝は崩壊。
彼の予言どおりに皇帝とその一族は全員が銃殺された。
このようにして怪僧ラスプーチンとロマノフ朝は最後を迎えたのである。
なお、ラスプーチンは多数の貴族、特に女性から厚い信頼を得ていた。
以下が彼とその信者たちの集合写真だ。
image: 南無煩悩大菩薩
次はニコライ2世一家の写真だ。
image:まりっぺのお気楽読書
長男のアレクシス皇太子の血友病を癒した怪僧ラスプーチンをロマノフ朝王宮に迎え、重用する。だが、前述したとおり、ラスプーチンの死後、ロマノフ朝崩壊とともに一家は処刑された。
なお、以下の写真はラスプーチンを暗殺したユスポフ侯爵。
image: Wikipedia
そして、ドミトリー大公。
image: 名のもとに生きて
2人は周到かつ徹底的な手段で不死身の怪僧ラスプーチンを葬った。
さて、ラスプーチンは本当に超能力者(予言者)だったのだろうか。
彼の情報を集めると予言者とも言えるしヒーラーとも言える。
何よりも不死身という奇怪な能力の持ち主だけに謎が多いのだ。
そしてロマノフ朝をコントロールしたまではいいが、なぜ暗殺計画を阻止することはできなかったのか・・・。
予言を見て未来を変えることはできなかったのだろうか・・・。
いずれにしても彼の人生は謎に満ちている。
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