今や日本のテレビでもお馴染みとなった「イルミナティ」。
都市伝説を語る上では外すことのできない存在になったが、あなたはそのイルミナティの創始者が誰であるかをご存知だろうか。
イルミナティの創始者は「アダム・ヴァイスハウプト」というのだが、彼にはさまざまな噂や疑惑が浮上している。
そこで今回はイルミナティの創始者「アダム・ヴァイスハウプト」に迫る。
イルミナティ創始者「ヴァイスハウプト」とは?
世界各国で“陰謀”というキーワードを口にすれば、必ず出てくる秘密結社「イルミナティ」。
あくまで噂レベルの情報であるが、その幹部は世界の王族をはじめ、大富豪、大統領、首脳といった顔ぶれになっているという。
創始者はドイツの実践哲学者「アダム・ヴァイスハウプト」だ。
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アダム・ヴァイスハウプトは7歳の頃、イエズス会の神学校に入学。20歳になるとインゴルシュタット大学の法学位を取得した。
24歳では教授になり、27歳になると法学部長にまで上り詰める。
このようにアダム・ヴァイスハウプトは秀才なのだ。
自身のキャリアが高まった彼は、いつしかキリスト教への批判をする立場に身を置くようになった。その後はイエズス会と距離を置くようになり、「完全論者の教団」を設立。
これが前身となって1776年、イルミナティを創始したのだ。
発足当初の「イルミナティ」は秘密結社ではなかった
image: laughy.jp/
イルミナティは発足当時、特に今に噂されているような“秘密結社”だったわけではない。当初は人類の倫理的完成可能を啓蒙主義的に謳う、ひとつの教団でしかなかった。
そもそもキリスト教を批判する立場にはあったものの、倫理面からであって転向を訴えるものではなかったのだ。
また、「啓明」によって人間は意識をはじめ、人格、霊格を高めていくことができると考えていたこともわかっている。
特に王政への反発が強かったとして有名で、「人間は誰もが王になれる素質を潜在的に有している」という思想を掲げていた。
アダム・ヴァイスハウプトはこの思想を唱え、多くの賛同者を得ることに成功する。これによって、市民や下級貴族らが集うようになったのだ。
そして、ヴァイスハウプトは「ミネルヴァ啓明」「ミネルヴァ」「新参入者」と言ったように3つの位階を設け、それ以上の高みに達したものは、古代の英雄の名を用いた“戦士名”を名乗ることを認めたのだという。
過激化したアダム・ヴァイスハウプトの最後
その後、イルミナティは順調に会員数を増やしていった。
これまた都市伝説で語られることの多いフリーメーソンとも合流していくこととなる。
しかし、イルミナティは日を追うごとに過激化していった。いや、過激化したのは“思想”であって、何も会員たちすべてではない。
これにより、バイエルン王国政府をはじめ、ローマ教皇も“異端”するように・・・。
もはやここまで過激になれば世が黙っているわけがない。以上が原因となって、アダム・ヴァイスハウプトは一切の活動ができないよう制裁を受けた。
さらには大学からも追放され、彼は居場所を失くしたのである。
晩年のアダム・ヴァイスハウプトは啓明の研究を継続したとされ、1830年にこの世を去った。
以上、これがイルミナティ創始者のアダム・ヴァイスハウプトについてだ。
最後に興味深い話を記しておく。
これはあくまで伝説のようなものだが、アダム・ヴァイスハウプトはアメリカ大陸に渡って、ジョージ・ワシントンを暗殺。その後、アメリカの初代大統領になったという話がある。
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さて、この伝説とやらが事実であるなら、今日のイルミナティにおける噂の数々の信ぴょう性が増すといえよう。
仮にアダム・ヴァイスハウプトがアメリカの初代大統領になったとするなら、アメリカの1ドル札には彼の肖像画と「プロビデンスの眼」が描かれているはずなのだが・・・。
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