世界一怖い話「牛の首」の内容に“真実”は含まれているのか

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世界一怖い話と噂されている「牛の首」。

牛の首は古くから伝わる怪談として有名だが、その内容の信ぴょう性を探ろうとしている方は意外にも少なくない。

よくある心霊ドキュメンタリーなどでも取り上げられたことで、あたかも「牛の首」が単なる怪談などの内容ではないと感じた方が多いのだろう。

そこで今回は世界一怖い話とされる「牛の首」の内容とその信ぴょう性に迫ることとする。

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「牛の首」の内容はひとつではない

そもそも「牛の首」は小松左京氏の短編小説であるという説と、何か元ネタがあってそこから創作された都市伝説(世界一怖い話)という説に分かれる。

もっともこの話でメジャーとなっている内容は大きく分けると2種類。
(※以下画像はいずれもイメージ)

1: 小学生たちが「牛の首」を聞いて集団失神

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image: 恐怖体験日記

とある小学校の教師が遠足中、バス内において怪談『牛の首』を話した。すると、次第に生徒たちの顔色が悪くなり、大声で泣き叫ぶまでに。しかし、教師は話をやめようとせず、まるで何かに取り憑かれたかのように話を進める。教師はバスが急停止して我に返った。辺りを見回すと、口から泡を吹いた生徒たち全員が失神していたという。

2: 大飢餓と人を喰っていたという歴史

時は江戸時代、ある村では大飢饉の際に人の肉を喰っていたという。当初は遺骸のみでやり過ごしていたそうだが、次第にエスカレートしていき、ついに弱っている人も食らうようになった。この時、生きている人間を食らう罪悪感を軽減させようと、牛の頭皮を首に被せた者を狩っていたという。

このようにひとつは怪談としての内容、一方はあたかも歴史上で実際に起きた出来事のような内容となっている。

怪談話であれば単純に“世界一怖い話”と恐怖するレベルで済むのだが、大飢餓と人肉食という歴史が事実だとすると、それこそ世界一怖い話どころではなくなる。

では、その歴史内容は事実なのだろうか。

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「真・牛の首」の内容に信ぴょう性はない

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画像は西日本に伝わる妖怪「牛鬼」
image: Wikipedia

 

前述した江戸時代における飢餓と人肉食の内容は、巷で噂されている「真・牛の首」と言われるものだ。

ちょうどこの内容が世間に浸透したのは2002年頃。ちょうどインターネット利用者が増えはじめネット掲示板も盛んになっていた頃と見ていい。

あたかも歴史を探れば“ありそうな出来事”とも言えるため、それを閲覧した人々は新しい恐怖を味わったことだろう。が、後にこれは創作だったことが明らかになっている。(とされている)

そもそも江戸時代に大飢餓という点はあまりにも不自然であり、“ある村”としておくことで証拠を薄めているかのように思えてならない。

世界一怖い話を作ろうとした者がネット掲示板を利用して広めたものと見られるが、元ネタが星野之宣の作品「宗像教授伝奇考」第1集に収載された「贄の木」という説や、岩波少年文庫・金素雲編「ネギをうえた人」という説も。

ということで、「牛の首」には決定的な証拠がないのだ。

確かに「世界一怖い話」と評価してもいいが、それがリアルで起こっていた実際の話かとなるとそうではないと言えよう。

世界一怖い話はあくまで“創作物”

いつの時代も「当時は飢餓があり、そのときは人が食べられていた」といった噂が飛び交う。それはここ日本だけではなく、世界共通の噂と言っていいかもしれない。

内容が内容なだけに本当にあった話と錯覚してしまいそうだが、「牛の首」はあくまで世界一怖い話(創作)でしかないのだ。

思い返してみれば、ネット掲示板が多くの人に利用されるようになってから、ネットでは鉄板とも言える怖い話の数々が生まれた。もちろん、それらも世界一怖い話と評価できるかもしれないが、そのほとんどが創作なのである。

もちろん、牛の首の内容を完全否定することはできないわけだが・・・。


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